深谷里恵子

CROVE 代表
全日本SEO協会 認定SEOコンサルタント
全日本SEO協会 特任講師
デジタルハリウッドWebデザイナー専攻 2016年11月卒業

LINE公式アカウントの講座・WordPress制作講座など多数開催

プロフィール

パソコンを買う

2002年、当時主婦をしていた私は「このままじゃパソコン難民になる!?」との危機感を抱き、パソコンを買うことを決意。パソコンに詳しい友達のご主人にどんなパソコンを買ったら良いか相談したところ・・・

その返事がさっぱりわからなかったのです。
デスクトップだのハードディスクだのメモリだの・・・
ここまで意味のわからない単語が並んでいるとどうしようもない。ということで、すぐに本屋さんに行き「パソコンを買うための本」を購入!

そしてパソコン屋さん巡りが始まりました。
メモリの増設やらプリンタとセット購入まで欲しいスペックも決まって、パソコンを買うと決めてから2週間後に念願のパソコンを手に入れました!

ネットは色々検討した結果ADSLを契約。めちゃくちゃ嬉しかった〜でも何をして良いかまだわからない状況(笑)
とりあえずあれこれ触っていたら出来てしまったファイルを削除できない。どうすれば良いのか人に尋ねたら「ゴミ箱に捨てろ」って言われた。
パソコンの中だよ、どうやってゴミ箱に!!??

なんてそんなアナログ人間でした。

そして3ヶ月後に自分のホームページを作成

当時から趣味人間だった私、パソコンで自分の趣味のホームページを作ってみたくなりました。
友人に色々教えてもらながら画像の編集はPhotoshopで、そしてサイト制作はホームページビルダーで。
パソコンを買ってから3ヶ月後には自分のホームページを公開していました。

(画像は初めて作ったホームページ)
当時のホームページがこちらです。
まだサーバーに残っているみたいですが、接続情報も分からずこのままになっています

そして、、、運命の出会い?

そして、2003年「ペイントハウスジャンク」社長の川瀬晋二氏と出会う。板金塗装業界なんて未知の世界でした。
「うちの会社のホームページ作って。仕事が取れるやつ。デザインどうでもいいからさ!」
なんとまぁ無謀なオーダー。趣味のサイトしか作ったことなかった私に。
当時は多くの人に見てもらうためにイベントでたくさんの写真を撮って、それをその日にアップするなんてことをやってました。1日で1000ページ見られるなんてこともあって、そうなると俄然やる気が出てきました(笑)

訳も分からずジャンクのサイトを制作、「仕事が取れるホームページ」をどう実現させるか、そう思っていた時に図書館で見つけた本が「SEO」の本でした。
SEOとは検索エンジン最適化(Search Engine Optimizationの略)という意味で、検索で上位に上げるための技術です。

SEOセミナーに参加

2004年、事務員さん募集しているということでペイントハウスジャンクに就職。
鈴木将司先生(現 全日本SEO協会 代表理事)のSEOセミナーに初参加。

先生のセミナーはカミナリに打たれたくらいの衝撃でした。
セミナー参加後にすぐにジャンクのサイトを全リニューアル。コンテンツも増やし、本当に色々やりました。
当時、社長と私は予約が決まるたびに二人で握手していました。ホームページから仕事が取れる!!私がサイトを作り、社長が文章を書くといった二人三脚の素人丸出しデザインでもお客様がきてくださる事が本当に嬉しかった。

そして、GoogleとYahoo!で「全塗装」のキーワードで1位を獲得
世界が変わった時でした。
問い合わせは月に100件、検索上位ってこういうことなのかを実感しました。

あまりのSEOのパワーにびっくりしつつも、社長と二人で先生のSEOセミナーに参加し続けました。
鈴木先生がいなかったら今の私はありませんと断言できます。

事務員現場に出る!?

問い合わせが増えれば予約が増える、有難いことです。
突然、社長が現場の社員二人に解雇を言い渡しました。その社員二人と社長の折り合いが悪く、毎日嫌な雰囲気で社長はその状況に耐えられなくなっていたようです。現場は当時その二人のみで、社長と事務員の私だけになってしまいました。
予約は詰まっています、誰が塗装の仕事をするの??現場を回さなくては!
現場なんかやったことありません、でも自分にもできる事があるんじゃないか。社長一人で現場を回すなんて無理、少しでも手助け出来れば・・・そんな気持ちから事務員の私が現場を手伝うという暴挙。

本当に色々やりました。
洗車・下地作業・マスキング・塗料の準備・・・なんでもやってみます。汚れるなんて言っていられません。最終的に行き着いたのは「磨き作業」でした。

現場作業は本当に体力的にきつかったです。特に夏の暑さと冬の寒さは堪えました。疲れて作業中に工場の床にマットを敷いて寝たこともありました。ブースの中で私が寝ている横で社長が塗装していたこともありました。きつくて泣きながら作業していた事もあります。

女が磨いてたらお客様嫌がるんじゃないか?そう勝手に思って、お客様が見積もりにいらっしゃると隠れていた時もありました。当時は毎日毎日現場ばかりで粉にまみれて、女性だという事も忘れたのか、、、化粧品を全部捨てましたね。全く必要が無くなっていたんです。

毎日12時まで現場、その後作業進捗ブログをアップしてから帰る。・・・でも、疲れていてパソコンに向かうと寝ちゃうんですね。毎日社長か私のどちらかが寝落ち、会社を出て家に向かうのは午前1〜2時くらいだった事が多かったです。

ジャンクと自宅は距離にして30キロ離れていました。当時シングルマザーになって3人の子供を育てていましたので週に2度は夕方一旦自宅に戻って買い物と食事の支度をして、また会社に戻り現場を続ける、、、そんな日々でした。
身体は本当に毎日疲れていました、心も疲れてよく会社を辞めたいと言って社長と喧嘩ばかりしていました。

こんな日々が続くと全然ホームページどころじゃなくなっていました。
検索順位が下がり、慌てて鈴木先生のセミナーを受けに行ったりしていました。

自分で磨いた車が100台を超えた頃、どんどん自信がついて、もうお客様がいらしても隠れることも無くなっていました。手には「ポリッシャーだこ」が出来て、重いポリッシャーも持ち慣れました。自分が磨いていくとどんどん車が光っていく感覚が楽しかった。
身体はクタクタでもお客様の喜ぶ顔が見られた、塗装の要は下地作業ですが、ぱっと見のクオリティは磨きで作ると思って頑張りました。きつかったけど磨きは嫌いじゃなかった。
ある日、コーティング屋さんがジャンクで全塗装した車がその会社に入庫した時に、その車を見て全く磨き直しが無かったと言ってくださったのは本当に嬉しかったです。

Web制作にも大きな転換期

現場ばかりやっていたらネット対策は疎かになります。
そんな時、「レスポンシブ」という言葉をよく聞くようになってきました。
スマホ対応しないと生き残っていけない?そんな恐怖感から色々調べた結果WordPressというものに出会いました。

すごい、これは詳しいこと知らなくてもサイト出来ちゃうんじゃないの??ホームページビルダーとかも必要ない!レスポンシブも怖くない!
WordPressはそう思わせてくれた。

それでもやっぱりちゃんとした知識が無いとわからない事が多いんですね、調べるのに本当に時間が掛かる。スタイルシートの概念も書き方も当時全くわからず、それでも根性で?やっていました。
「WordFes Nagoya 2015」というWordPressのイベントが名古屋であるという事を知り、少しでも情報が欲しくてオバサン一人で乗り込んで行きました(笑)

そのWordFes Nagoya 2015のランチミートアップ(昼ごはん食べながら他の参加者と交流をする)で隣に座った女性グループの一人と色々話をしていたら、ホームページを作ることを教えてくれる学校がある(それもオンライン授業??)という話を聞きました。当時の私はそんなことも全く知らなかったんですね。
その学校の名前は「デジタルハリウッド」
何というインパクトのある名前!!その時はそう思いました。

そしてSEOコンサルタントに

2015年夏。
SEOのアドバイスが欲しいと言われたけど、何の資格も無いとちゃんと話を聞いてもらえないことを実感。
実績だけじゃどうにもならないんですね。
意を決して「全日本SEO協会」の認定コンサルタント養成スクールに。

大阪での講座を受けながら課題のレポート。レポートなんて無縁の生活だった自分が、毎日パソコンと向き合う、必死で課題を提出しました。
3ヶ月後には全レポートを提出して晴れて「認定SEOコンサルタント」になる事が出来ました!!

次なる野望は・・・

2016年2月、社長に次なるチャレンジをしたいと打ち明けました。

「デジタルハリウッドに通いたい」
SEOを勉強すればするほど、どんどんデザインが置き去りになる気がしていました。

学校はいくつかあったのかもしれませんが、無知な自分は「デジハリ」しか知らなかったし、通っていた人がすごくいいって言うんだから間違いないと思い込み、デジハリ入学!
偶然というのはこの事なのか、運命なのか、入学初日のトレーナーはWordFesで私にデジハリの存在を教えてくれたあの女性「U先生」でした!!

Webデザイナー専攻に加えて、WordPressやバナー講座まで受けました。PhotoshopやIllustratorは仕事で使っていましたが、それでも独学だったので知らないことも多く、新しいことを教えてもらうのが本当に楽しかった!WordPressも同じ、今までの点と点が全部一気に繋がったようで、本当に楽しかった。トレーナーの先生のお話も本当に勉強になる事ばかりでデジハリに行って良かったと今でも思います。

(画像は私の卒業制作のサイトのスクリーンショット)
家と会社とデジハリの三重生活は思った以上に大変でしたが、9ヶ月後に卒業制作を提出し、無事に卒業しました。
何と最終日の卒業制作の発表会の時も入学初日と同じU先生、、、私の運命を大きく変えてくれた人の一人でしたね。

そしてジャンクはWeb事業にも進出

私がSEOコンサルタントの資格を取り、Web制作の勉強をし、社長がライティングやマーケティングなどの勉強をし、、、色々相談を受けるようになってサイト制作やコンサルティング・セミナーや勉強会の開催などをするようになりました。

実はWordFes Nagoya 2015でもう一人、衝撃的な人のお話を聞く事が出来ました。
Webディレクターの中村 健太さんでした。
イケメンな上に話がめちゃくちゃ私のツボ!
車を磨いてばかりいた私がWebの世界にどっぷり浸かることになろうとは。Webディレクターなんていう仕事があるのも知らなかったくらい自社のホームページとSEOと磨き作業しか自分の中にはありませんでした。

中村さん目当てに「エンタミナ」というイベントに社長と東京まで出向いて、そのイベントでWeb業界の有名な方々を知る事が出来ました。

「車屋がWeb屋?」もう恥も外聞もなく、色々な方にご挨拶させて頂き、社長と2人で必死でした。
Webディレクター田口真行さんとお話する機会を持てたり、後藤賢司さん、名村晋治さん、、、本当に色々な方とお話させていただきました。多くのWebデザイナーやカメラマンさんなども知り合う事が出来ました。

突然の別れ・・・

2019年4月22日。

当日名古屋駅で打ち合わせの予定をしていたのに、社長と連絡が取れない。
とにかくどこかに聞いてみなくちゃ、思い当たるのはその日社長が行くはずだったところのホームページを必死で探し、連絡先に電話。

電話に出た相手から聞かされたのは「川瀬さんは亡くなりました」の一言。
理解出来ませんでした。
少ししてから私が聞いたことは「社長って死んじゃったってことですか?」・・・

泣きたいのに泣いてばかりいられない。
お客様や業者の方々に社長の訃報について・葬儀の日程の連絡。そしてジャンクを閉めること、予約をいただいていたお客様への連絡、片付けなど必死でやりました。

「あの日」から自分の部屋で寝られなくなり、毎日居間で電気を点けて寝ていました。体の調子はどんどんおかしくなり、耳が聞こえづらくなったり身体が痺れたり。モノの処分が本当に大変で、ゴミノイローゼになりそうでした。20年間分の埃の掃除も埃だらけになってやりました。
本当に大変な毎日でした。

ありがたい事に多くのお客様がジャンクに来てくださって社長の事を話してくださったり、私の事も心配して来てくださったり。本当に救われる時間も持つ事ができました。

そんな中でもジャンクに全塗装の予約をしてくださった多くのお客様から「川瀬さんに塗って欲しかった」という言葉を頂きました。
これは社長が自社サイトで一生懸命発信していたことが本当に大きかったと実感し、これを繋いでいくのが社長からの宿題じゃないかと思うようになりました。

全塗装センターペイントハウスジャンクは20年と2ヶ月で閉業する事になりました。全塗装は1000台を少し切るくらいまで施工しました。私の磨き作業も600台くらいやっていたと思います。
私はジャンクに勤めて15年が経っていました。

そして、CROVE開業

2019年6月28日、CROVEを立ち上げました。
「CROVE」の由来はホームページで人が交差するといった意味の「CROSS」と私が大好きなそよ風を意味する「WAVE」をあわせた造語です。

ホームページを作ってもどうしていいかわからない。
ブログの書き方もわからない。
色々困っている方がいらっしゃいます。

「問い合わせが来るようになった」「予約が取れた」・・・そう聞くと嬉しくなります。
自分と社長が味わった気持ちをもっともっと知ってもらいたいと思います。

ネットをうまく活用して発信、多くの人と繋ぎたい。
ウェブサイトはそんな人と人を繋げる力があると思います。
私の知識や経験を通して小さな会社さんでもそれを実現できるようにアドバイスしたいと思います。

やっと一段落した6月のある日、車を運転していた時に流れてきた曲が米津玄師の「Lemon」という曲。
泣きました、社長はどこに行っちゃったんだろう?
15年間苦楽を共にしてきた上司・同士だった社長がいなくなって、いまだにそれを実感できていないと思います。
今でもそばにいる気がします。

社長 川瀬晋二には感謝しかありません。その恩に報いるのは私が頑張る事だとも思います。